僕が南アジアに辿り着いたとき、現地は雨季となっていた。
そこまでのルートは山間を進んでいたのだけど
大雨による土砂崩れで足止めをくらってしまった。
目に入る全部が雨によってぼやけた。

ところで、僕は雨が嫌いだった。
裾や袖口が濡れて冷たくなる感覚も
服越しに染み込んでくる時の張り付くような感覚も苦手だ。

ある人には地上の穢れを洗い流してくれる様に感じる雨は、
その流れをどこに向けていくのだろう。
高い所から下の方へ、今よりも下へと追いやっていくのだろうか。

さて、雨季に入ると元から少ない観光客はほとんど皆無となってしまう。
そうしていつもの生活をしている地元の人だけになる。
確かに観光気分では乗り切れそうに無かった。
雨なのに、粒を確認できない。
例えるならシャワーでなく、ホースの水だった。

幾らなんでも濡れずにやり過ごす方法はなかった。
膝や、場所によっては腰の辺りまで水かさがあるのだ。
泳いだり体を洗う人までいる中で僕はというと、はしゃいでいた。
ちょっと、は嫌でもビショ濡れになるのは好きなのだ。

どっさりの雨を身に受けていると、水中にいるような感覚になる。
体は重圧を感じ続けると逆に浮遊感が生まれるらしい。
はてさて、どちらが上だか下だかわからないぞ。
このまま泳いでいくと気付いたら天上だった、みたいな事があったかもしれない。
先日、無花果と書かれたダンボール箱が送られてきた。
差出人は地元の古い友人からだった。

開けてみると長いこと彼に貸していた物達が入っていた。
存在も忘れていただけに懐かしかったけど
いまさら手元に戻ってきたところでちょっと困ってしまった。
正直なところ、僕にはもう必要がない。

彼にとっても必要が無くなったのだろうか。
放置せずに使用していた形跡は残っている。
僕はというと、むしろ箱に興味をひかれた。
無花果という字の読み方がわからない。

何か宗教的なカッコイイ雰囲気を感じたので調べた結果、
果物の『いちじく』の漢字書きだとわかった。
いちじくは花を咲かせず実を付けるので
「無花果」と書くようになったという通説である。

しかし実際には外から見えないだけで花はあるとのこと。
つまり、自分の内側に向けて花を咲かせているらしい。
僕は大変興味を持った。
さらに、みんなが食べているあの部分が花だという。
花を食べるという果物は、あまり無いように思う。

いちじくは自分の体内に、誰からも見えない花を咲かせている。
僕らは、それと知らずに、いちじくの花を食べている。
いちじくの花を摘み取り、食べている。

彼が今になって、わざわざ返してきた事には
何か意味があったのだろうか。

僕が一日の成り方について感動した場所が三つある。
その中で最も心を躍らせたのがアラスカだった。

この時期のアラスカ、特に北部は日照時間が4時間以下になっていく。
一日のほとんどは黒色で街が染められていた。
当時筋金入りの夜行性だった僕は即座に心を奪われた。

人々が暗闇の中で日常生活を営んでいるというアンリアル感。
街全体で背徳的な行為をしているかのような感覚。
いつもの、が少しだけ現実感を失ってドワンドワンしてる。

強烈だった。


光が届かない場所に土筆が生えてピョコピョコしてる。
目立たない事を良い事にそれぞれが勝手に動き回ってる。
考えてる事なんかわかるもんか。
それが心地良い場所。 僕は秘密のアジトを手に入れた。
はじめまして。
如何に手玉に取れるかを意識してやっていきます。
暫くはデザインやタイトルなどチョコチョコ変わるかもしれません。
よろしく。

全てはネタであり、ネタと受け取れなかった時があなたの負け。
お互い後味でにんやり笑いましょう。