僕が南アジアに辿り着いたとき、現地は雨季となっていた。
そこまでのルートは山間を進んでいたのだけど
大雨による土砂崩れで足止めをくらってしまった。
目に入る全部が雨によってぼやけた。
ところで、僕は雨が嫌いだった。
裾や袖口が濡れて冷たくなる感覚も
服越しに染み込んでくる時の張り付くような感覚も苦手だ。
ある人には地上の穢れを洗い流してくれる様に感じる雨は、
その流れをどこに向けていくのだろう。
高い所から下の方へ、今よりも下へと追いやっていくのだろうか。
さて、雨季に入ると元から少ない観光客はほとんど皆無となってしまう。
そうしていつもの生活をしている地元の人だけになる。
確かに観光気分では乗り切れそうに無かった。
雨なのに、粒を確認できない。
例えるならシャワーでなく、ホースの水だった。
幾らなんでも濡れずにやり過ごす方法はなかった。
膝や、場所によっては腰の辺りまで水かさがあるのだ。
泳いだり体を洗う人までいる中で僕はというと、はしゃいでいた。
ちょっと、は嫌でもビショ濡れになるのは好きなのだ。
どっさりの雨を身に受けていると、水中にいるような感覚になる。
体は重圧を感じ続けると逆に浮遊感が生まれるらしい。
はてさて、どちらが上だか下だかわからないぞ。
このまま泳いでいくと気付いたら天上だった、みたいな事があったかもしれない。
そこまでのルートは山間を進んでいたのだけど
大雨による土砂崩れで足止めをくらってしまった。
目に入る全部が雨によってぼやけた。
ところで、僕は雨が嫌いだった。
裾や袖口が濡れて冷たくなる感覚も
服越しに染み込んでくる時の張り付くような感覚も苦手だ。
ある人には地上の穢れを洗い流してくれる様に感じる雨は、
その流れをどこに向けていくのだろう。
高い所から下の方へ、今よりも下へと追いやっていくのだろうか。
さて、雨季に入ると元から少ない観光客はほとんど皆無となってしまう。
そうしていつもの生活をしている地元の人だけになる。
確かに観光気分では乗り切れそうに無かった。
雨なのに、粒を確認できない。
例えるならシャワーでなく、ホースの水だった。
幾らなんでも濡れずにやり過ごす方法はなかった。
膝や、場所によっては腰の辺りまで水かさがあるのだ。
泳いだり体を洗う人までいる中で僕はというと、はしゃいでいた。
ちょっと、は嫌でもビショ濡れになるのは好きなのだ。
どっさりの雨を身に受けていると、水中にいるような感覚になる。
体は重圧を感じ続けると逆に浮遊感が生まれるらしい。
はてさて、どちらが上だか下だかわからないぞ。
このまま泳いでいくと気付いたら天上だった、みたいな事があったかもしれない。