祖母が死んで、銀のスプーンを貰った。
先端についた飾りから上品な印象を受ける。
大きいものと、小振りなティースプーンの2つの組物だった。

簡素な、だけどしっかりと作られた木の箱に収まっていた。
オブラートに包まれているようにうっすらと輝いている。
当たる光は押し返されずに中へと吸収されていった。

それは綺麗で、だけどそれ以上に大切なものに感じた。
じっくり見ているようでもあったし、無意識に眺めていたようでもあった。
私の手元に来てから毎日感触を確かめた。
そして、それは直ぐに錆びてきた。

触れるたびに私の手垢が銀の塊をどんどん汚していた。
大事に扱っても私が触れた所から朽ちていく。
自分の手が呪われているとさえ感じた。

きっと、スプーン達は木の箱の中でとっくに死んでいたのだ。
そして死んでしまった事に気付いていなかった。
ひっそりと蓋を閉められた木箱は時さえ密封していた。
開いた瞬間に現実が流れ込んだんだ。
消え去りたい。
死にたいのではない。 この世から存在を消し去りたい。
観念的な世界に行きたい。

そこは黒い一色の世界で僕は一本の白い線になる。
曲がらない何処までも真っ直ぐな直線。
そして線の太さは一定がいい。

細くなったり太くなったりは人間的だけれども美しくないので嫌である。
いや、美しくないわけではない。 むしろ美しいかもしれない。
だが僕は人間的なラインよりも超然とした一物体としてありたい。

そうして一本の線は黒い世界にアクセントとなり幾何学模様を生成する。
線は一本だけではないかもしれない。 線が交錯していく。
その度に新たな形を作り模様が浮かび上がってくる。

世にある幾何学模様はそうして誕生するのだ。
夜の土手はワサワーサーと音を立てていた。
もう寒くって、僕は首を縮める。
拾った本を燃やして暖まる。

ずっと遠くには隣町が見える。
白くてオレンジ色の光。
手前には川が、音だけ聞かせている。

空には星。
軽く瞬いている。
空気が悪いのかもしれない。

僕は机の引き出しから持ってきた
サソリの標本を火の中にほうり投げた。
ちょっとイヤな匂いを出した後に煙となっていく。

ミシミシと小さな音を立てている。
このまま宙まで昇っていけ。
彼も星になれるだろうか。

虫の声が沢山聞こえる。
地面は少しグッショリしてる。
そんな中で僕は送り出す。
地球の上空、高度36000キロメートルには衛星が回っている。
僕らの見上げる先には、僕らの頭の上を。
衛星たちはこの空を限りなく回っている。

黒い大気。
青く光る曲線。
彼方に夜明けが見える。

白く渦巻く。
深い緑色。
広がる褐色の大地。

徐々に明るさに呑まれていく。
そして闇に溶けていく。
空が凍る日に太陽は五つ昇る。

太陽を見つめたら、僕の眼は眩んでしまうだろうか。
真っ白くなった刹那に目の奥から麻痺した感覚がやってくる。
団地の窓から眺めていた僕は手すりにもたれ掛かった。

大気に氷を纏う日に太陽は五つ姿を現す。

太陽を見つめ続けたら、僕の眼は瞑れてしまうだろうか。
目の奥から、何かが零れ落ちて戻らない。
線が切れた僕は手すりから身体が転げ落ちそう。

何度も見ても。
どんなに見ても。
影さえ残らない。
草色の天国に くちづけ
銀にくちづけ
空色の傷口に くちづけ
石にくちづけ
柿色の明日に くちづけ
鉄にくちづけ
雪色の触覚に くちづけ
今日も点滴のチューブを血が遡っていく。
「あ、逆血しちゃったのね」と看護婦が言った。 
どうやらギャッケツと云うらしかった。
僕は逆血をとても気に入っていた。

それは綺麗だった。 
真っ赤な龍がゆったりと天に昇って行く様を連想させた。

最初のうちは点滴の液体と混じってモワァとしている。 
赤い煙幕を張られたようであった。
そして徐々に淡い赤色になっていく。 薄いのかさらさらしている。
それが徐々にどす黒くなっていきネットリと密度を増していく。 
この辺になると100%近く僕の血なのかもしれない。
血はまた、チューブの中を一定の密度で進んでいくわけではなかった。
側面だけに流れていったりもした。 
横から覗くと真っ赤に染まったチューブも
回転させると細い一本の線になる事がある。 赤い線だ。
僕はこの三次元的な表情を見せる所も気に入っていた。
徐々に伸びていくという点では四次元的とも云えるかもしれない。

まるで僕の血管が透明になって体外に飛び出たようだ。 血液が流れるのが見える。
僕は逆血を楽しんだ。
何よりも僕の血が外に逆流して昇っていくなんて、非常に良いじゃないか。

深夜、一人で車を走らせている時にクラッシュ。 それで死にたい。


走っている場所は都内がいい。 明かりが沢山で綺麗な夜景の中。

擦り切れる程聞き返しているテープをその日も大音量で流していて。

延々と続いていくような道を走っていくうちに意識が麻痺してくる。

夜と一体化している気分になる。

スピードは速いのか遅いのか、もうわからない。

どこを走っているのかもわからない。

だんだん真っ白になってきた。

イルミネーションの光に吸い込まれて行くような感覚。

ヘヴィリフが心地よく体に響いていく。

ボーカルが遠くで流れている。

グルーヴが優しく体を包む。


どこにどのようにぶつかったのかもわからない。



激しくクラッシュして全てを壊す。 
車体は宙を舞い、そして。

激しく炎焼して全てが焦げになればいい。
そこには一塊の黒い燃えカスだけが残るんだ。

もう何年も前から決めている理想の死に方。
その日は風が全くない月夜だった。
あまりの静けさに何故か怖くなった僕は一人外へ向かう。

宿の外はいつもと同じ交通量。
なのにどこか寒々しい。
この場所にいるのが辛い。 余所余所しい気配を体が嫌がっている。
より暗い方へと足が向かっていった。

どんどんと進んでいた僕は、ついに道の終わりまで来てしまう。
そこには海があった。

広い砂浜はまるで黄金色のベルベッド。
どこまでも滑らかだ。
途切れる事の無い一本のラインが綺麗だった。

ふと、何かの存在を感じる。
自分以外に何も無い世界から意識が戻る。
僕はゆっくりと近寄った。
それはオウムガイの貝殻だった。
月明かりをうっすらと吸収している。

手にとった僕は物珍しさから色々と感触を確かめる。
中に何が入っているのか。
内部に複雑な空気の流れがあるのを感じられた。
それとは別に、サラサラとした感触も手に伝わってくる。
ひっそりと、しかし途切れる事はなく。

僕は時間の流れを全身で感じ、そして。
凪がピタリとやんだ海では僕の周りに今が止まっていた。


あんなに穏やかな体験はしたことがない。
ええじゃないか
たとえ
みすぼらしくても
泥にまみれていても
きみのあとには
ちゃんと
はしがかかってる